オーナーシェフ

  • Home
  • オーナーシェフ

ご挨拶

大学卒業後、東京、スペイン、フランスで様々なお菓子作りを学んできました。その中でも、初めての海外生活と海外修行経験したスペイン・マドリードは、特 に印象深いものでした。明るく親切な国民性に触れ、「将来、スペインで学んだお菓子を故郷の長崎の皆さんに食べていただきたい」と思ったのも自然の流れ だったように思います。店名の「サン・オノフレ」をいただいた、マドリードの師匠の名に恥じぬよう、毎日心を込めたお菓子作りを続けて行きたいと思ってお ります。

オーナーシェフ

山口 正見

1967年長崎県に生まれる。大学卒業後、「青山シャンドン」(東京)にて洋菓子作りの基礎を学ぶ。
1992年渡西し、マドリードにてダニエル・ゲレロ氏に師事、「オルノ・サン・オノフレ」「ラ・サンティアゲサ」「パナデリア・タオナ」(ブーランジェリー)に勤務し、スペイン菓子を学ぶ。
1995年渡仏し、アンジェ(ロアール地方)にて「トリアノン菓子店」(ミッシェル・ガロワイエー氏)に勤務。
1996年南フランスのトゥールーズにて「メゾン・ピロンチョコレート店」(レネ・ピロン氏)でチョコレートを学ぶ。
1998年長崎市の「スペイン菓子セヴィーリャ」のシェフに就任。
2004年西彼杵郡時津町に「スペイン菓子サン・オノフレ」開店。

スペイン菓子との出会い

初めてのマドリード
菓子修行のため、初めてマドリードを訪れたのは、1992年11月、バルセロナ・オリンピックが終わった直後の晩秋のころだった。スペインというと、太陽が照りつける情熱の国、というありきたりなイメージしかもっていなっかた私には、やたらと肌寒く感じたのを憶えている。フランス菓子に憧れ、フラン スという国にも憧れを抱いていた私には、(所謂一般的な洋菓子の世界の人間には、標準的なことではあるが)最初に受けたスペインの印象は何もかも野暮ったく期待はずれに見えたものでる。

「何でこんな国に来てしまったのだろう。」最初、スペインに着いたときの正直な感想だった。しかし、せっかく来たのだから、語学くらいは覚えようと語学学校に通い始め、そのうちせっかくだから少しでもこのマドリードの菓子店で働いてみたい、と手当たり次第に履歴書を送ったりするうちに、だんだんとスペイ ンという国、そしてスペイン人に愛着を感じ始めていた自分がいたのだった。

オルノ・サン・オノフレ
そんな私を拾ってくれたのが、恩師ダニエル・ゲレロ氏である。当時、3店舗の菓子、パン店を経営していたダニエルのもと、「オルノ・サン・オノフレ」菓子店で働くうちに、仕事はハードだったが、徐々にスペイン人の良さ、スペインという国の面白さに惹かれ始めていった。おそらく、スペインという国のもつ華 やかさとは別にある、素朴な国民性とか情の厚さというものが、自分を魅了したのだと思う。わずか2年半ほどの滞在ではあったが、すっかりスペインにはまってしまった訳である。しかし、洋菓子の本場、フランスで技術を磨きたいという気持ちも強く、心が葛藤する中、スペインを後にし、フランスへ向かうこととなった。やっと本来の目的の地であるフランスへ行けるというのに、なんだか非常に寂しい気持ちで向かったことを憶えている。

故郷の長崎で店を出す
そうして、フランスで2年働いた後、郷里の長崎で店を出すことになった時、迷わずスペイン菓子という看板を掲げることにした。スペインの素朴な伝統菓子が好きだということもあったが、やはりスペインの言う国自体への関わりを強く持っていたいという気持ちが強かったと思う。

マドリードのサン・オノフレのダニエル・ファミリーとのご縁もまだ続き、昨年もマドリードを訪ねた際、友人共々わざわざ食事に招待してくれた。また、ス ペインで知り合った日本人ともずっと交流や友達つきあいが続いている。新年早々にも旅行の計画を仲間うちでたてているところである。スペインと自分との縁は薄くなるどころか、年々強くなっていくようである。

マドリードの「オルノ・サン・オノフレ」

El Horno de San Onofre

マドリードの大通り「グランビア」を1本入ったところに「オルノ・サン・オノフレ」はあります。シーズンの冬場には、お客様が店の外まで並んで待っている事もしばしばというほどの繁盛店です。店名の「サン・オノフレ」をいただいた時、師匠のダニエル・ゲレロ氏がコック・コートをプレゼントしてくださいました。

ダニエル氏と、スペインのカステラであるビスコッチョと長崎カステラの違いについて研究しました。